スイス暮らしで感じたこと|海外生活で気づいたイライラとの距離感

ひとりごと

スイスで暮らし始めてから、以前よりもイライラすることが少なくなった。

日常の小さな出来事から気づいた、感情との向き合い方についての記録。

スイスのトラムで感じた、イライラしない人たち

スイスは時間に正確な国だ。

公共交通機関はほとんど遅れないし、
3分の遅れがあろうものなら、リアルタイムで電光掲示板でも電車アプリでも教えてくれる。

ちなみに隣国ドイツやフランスでは
そうはいかない。

「あともう少しで出ます」とアナウンスが
流れても、一向に出発する気配がない。

そんなちょっぴりルーズな隣国に囲まれながらも、スイスの時間に対する感覚は
日本で暮らしていた時とほとんど変わらない。

そうは言っても、路面電車(トラム)では
乗っていた便が突然運休になったり、
途中で下車を求められることがたまにある。

そんな時、スイスの乗客が怒っているところを見かけたことがないのだ。

スイスに来て間もないある日。

その日はスイスといえど、うだるような暑さで、冷房の効いていないトラムの中で
半ば熱中症気味になっていた。

あと2駅で目的地のIKEAに着くぞ!早く早く!と思っていた時、急にトラムが運転を取りやめた。

理由はわからなかったが、おそらく機材トラブルか何かだったと思う。

運転手が車両の中を歩いて、
「降りて降りて!」と降車を促していたが、
謝罪は特になかった。

心がざわついた。
「え、こんな暑い中2駅歩かなきゃいけないの?」
「みんな絶対イライラしているよね?怒るよね?」

けれども、誰も怒っていなかった。

何事もなかったかのように、
みんな平然と歩いてIKEAに向かっていた。

そんな「当たり前に誰もイライラしていない」中で、
私の心の中でむくっと芽が出そうになっていたイライラの種が、しぼんでいくのを感じた。

イライラして当然、という思い込み

日本だったらどうだっただろう。

私は都内の某・運転見合わせが多い路線沿いに住んでいた。

そして電車遅延に巻き込まれたときには、
やはりちょっとイライラしていた。

そんな余裕のない自分に嫌気がさしながら。

けれど同じような状況で、イライラの芽が
しぼんだ時、

自分の怒りやイライラが、
いかに周りから影響されているかということを実感した。

他人のせいにするのは本当によくないと思うが、私は周りのひとがイライラしているのを
肌で感じた時に、
その負の感情を自分のものに変換していた。

「電車が予定通りじゃない=イライラして当然だ」という簡単な方程式が、自分にインプットされていたのかもしれない。

途中式を書くまでも、証明する必要もないくらい単純化された方程式だ。

周りがイライラしているから。
こういう時はイライラ「するもの」だ。

そんな自分の内側から湧き出る感情ではなく、外的な影響を受けてネガティブな感情に
振り回されるのはやめたい。

書いていながら、嫌なやつだ。

この時ばかりではない。

別の暑い日にトラムから降ろされ、離れた駅
まで歩いて移動しなければならなかった日も、
寒い中トラムがほぼサイレントで行先を
変更して元の場所に戻った日も。

やや困惑していた人はいたが、怒っている人はいなかった。

なぜ彼らは怒らないのか理由は知らないし、
他の場面では小さなことでも烈火のごとく怒り狂っているのかもしれない。

ただスイスで暮らす中で、
「期待しすぎること」は控えようと感じた。

そして、「ま、そういうこともあるよね〜」とニュートラルに流せるようになりたい。

「今回は運が悪かった」なんて考えたら、
うっかりネガティブの種を植えてしまいそうだ。

時間通りでハイクオリティのサービスが受けられる国はそうそう無い。

スイスも日本も世界的に見て稀有な存在だと思う。そこに誇りを持つことは大切だ。

けれどもそれを「当たり前のこと」として
期待しすぎると、突然少しのほころびが許せなくなってしまう。

恵まれた環境に感謝して
ポジティブに暮らすのか、
恵まれた環境でほころびにイライラして
ネガティブに暮らすのか。

選べるなら前者の方が
人生ハッピーになれそうだ。

そんな文章にしてしまえば当たり前だけれども、私にとっては意義のある大きな気づきだった。

私の人生の目標は、「余裕のある暮らし」だ。

高校生の頃、部活の顧問に
「あんたのキャパは豆粒だ」と言われて以来の目標である。

スイスに来て、一歩前に進めた気がした。